江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
2008-02-07
江戸っ子憧れのファッション・リーダーとは?

では、江戸時代のファッション・リーダーは誰だったかというと、歌舞伎役者、町火消し、遊女、芸者といったところだ。とりわけ、大きな影響力をもっていたのが、歌舞伎役者である。
歌舞伎役者は、着物のデザインから、柄、色、帯の結び方まで、すべてが庶民の憧れの的だった。庶民は、歌舞伎役者の着物の柄や色などを真似、そこから流行が生まれ、今でも残っているものがあるほどだ。
その代表は、基盤の目のような「市松模様」である。そのデザインは、初代佐野川市松が『高野心中』という芝居で、紺と白の基盤模様に染めた襟を着用したことにはじまる。以来、大流行し、現在でも使われているデザインだ。
ほかに、当時流行った柄には、七代目団十郎が火をつけた三筋格子、五代目岩井半四郎からはじまった半四郎鹿子(はんしろうかのこ)などがある。
色には、『助六』の鉢巻の色から流行った「江戸紫」、三代目中村歌右衛門が好んだ「芝翫茶(しかんちゃ)などがある。
とくに、二代目瀬川菊之丞の流行らせた「路考茶(ろこうちゃ)は、江戸の流行の方向を変えたといわれる。
菊之丞は『八百屋お七恋江戸染』で、くすんだ鶯(うぐいす)茶の着物を着た。その渋い色が、江戸っ子に大いにウケたのだ。
菊之丞の俳名の路考から「路考茶」と名付けられたその色こそ、江戸っ子の好みの派手なものから、粋へと変えるきっかけをつくったのだ。
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