江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-02-10

身分の高いはずの武士の生活が苦しかったのはなぜ?

武士は食わぬど高楊枝」と皮肉られたように、武士の多くは貧しかった。彼らは、身分上は士農工商の頂点にあったものの、経済的にはむうしろ逆に近い者が少なくなかった。
武士が貧しかった最大の原因は、年を経ても収入が変わらなかったことである。武士に与えられる家禄は、先祖の手柄に基づいて、代々原則として同じ額を与えるものだ。安定した収入といえるが、例外的なケースを除いて、昇給はなかった。
もし、江戸の経済がデフレ基調であれば、武士もやっていけただろう。けれども、実際の江戸経済はインフレ基調にあり、諸物価は年を追うごとに上がっていった。収入は基本的に変わらなかったから、かつては楽に買えた品物も、しだいに買えなくなっていったのだ。
家禄の基本である米価が諸物価とともに上げれば、やっていけるはずだという指摘もあるだろうが、そこが違った。米が増産された結果、江戸中期以降は米価安となり、武士は米を売っても、たいしたお金を得られなくなったのだ。
となれば、武士は倹約に励むしかなかったが、経済と文化の発展が武士を誘惑した。巷に新しい商品や流行品があふれると、つい手にとってみたくなる。町人が楽しそうにしていれば、武士だって同じことをしたくなる。欲望に負け、さらに困窮を深める武士が増えたのだ。
また、武士は、石高によって供揃えの人数を決められ、身分の高い武士は、大勢の家来を抱えていた。たとえば、200石取りなら5人、500石取りなら11人の従者を揃えなければならない。彼らに払う給金が、支出の3割を超えることもあった。
地方の武士の場合、経済状態はいっそう悲惨だった。参勤交代に莫大な費用がかかるため、各藩は家臣の給料を借り上げたのだ。形の上では、家臣は藩に家禄の何割か貸すことになったが、その借上分が家臣に返されたことはまずなかった。物価が上がり、米価が下る中、実質的に家禄の何割かを召し上げられたのだから、困窮するのも当然のことだった。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 武士

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