江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-02-12

牢屋敷で囚人はどんなふうに過ごしていた?

江戸の牢獄といえば、小伝馬町の牢屋敷が名高い。江戸だけではなく、日本一の牢屋敷であり、未決囚らが収容されていた。
牢屋敷内は、身分によって入牢する場所が違った。お目見以上の武士や高級僧侶は揚座敷、お目見以下の武士、普通の僧侶は揚屋といわれる牢に置かれた。庶民が入るのは、30畳ほどの大牢である。また無宿者は、二間牢と呼ばれる場所に置かれた。
大牢内では牢名主によ自治制がしかれていた。牢名主は畳を10枚重ねた見張り畳の上に座り、その下に添役、角役、二番役から五番役、本番、本助番、五器番、詰之番、詰之助番という序列があった。ここまでが牢内役人と呼ばれ、牢内は彼らの意のままだった。彼らに逆らったら、リンチを受け、命も危なかったといわれる。
牢内のスペースは、上位の役職にある者ほど広く与えられ、一番下の平因となると狭い畳に押し込まれた。畳一枚に6~12人程度が詰め込まれることもあった。
畳一枚に6~12人も押し込まれることになると、昼でも大変窮屈だが、夜はさらに辛い。座ったまま、人の肩を枕にし、自分の肩を人の枕にするような格好で寝なければならない。
そのため、睡眠不足の状態がつづき、昼にうとうとすることになる。そうなると、牢役人に叩かれる。体の弱い者は病気にかかり、正式の刑を受ける前に命を落とすことが少なくなかった。
牢内の食事は、朝8時、夕方5時の2回。牢内では食事は「ヤッコミ」と呼ばれ、食事の時間になると、囚人がいっせいに「ヤッコミ、ヤッコミ」と声をあげる。一日一人につき、米は4合5勺と決められていて、これに汁がつく程度が基本だが、牢役人らには多少のおかずがついたようだ。
牢内で、平因は苦しい思いをしなければならなかったわけだが、そこは地獄の沙汰も金次第。牢内役人にひそかに賄賂を渡せば、多少は待遇がよくなったという。
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tag : 歴史 江戸時代 雑学

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