江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-02-14

島流しになると、どんな生活が待っていた?

江戸時代、死刑に次ぐ重罪は島流しだった。おもな流刑地は、伊豆七島、佐渡ヶ島、壱岐などである。
島流しと決まると、年二回の船が出るまでは、牢屋に止め置かれる。島流しの日が決定すると、親戚縁者にその日が知らされ、差し入れが許された。米なら20俵まで、金なら20両までと決められていて、これが当初、島で生きていくための財産となる。
いざ島に流されると、流人らは、村内の囚人の割合が5~10%になるように、それぞれ分かれて村々に配置された。村では「五人組」組織に預けられ、その監視下に置かれた。村々には、掘っ建て小屋のようなものが用意されていて、そこが囚人たちの生活の場となる。わずかばかりの畑も与えられた。
島の生活は、いくつかのルールを守れば、あとは 何をしようと流人の勝手だった。そのルールは、島抜けをしないこと。他の村へ行かないこと、流人同士で交際しないことで、あとは囚人の自由にまかされていた。しかし、けっして呑気な生活ではなかった。
なにしろ、流人にはいっさい食糧が与えられない。わずかばかりの畑を耕すか、村人の農業、漁業の手伝いをして食糧を得ていくしかない。さらに、水の乏しい離島には、飢饉がつきものだ。飢饉時には幕府から援助米が送られ、島民はそれで飢えをしのいだが、流人用の米はいっさいなかった。
こんな過酷な生活だから、流人は天寿をまっとうできた者はわずかだ。多くは餓死し、あるいは生活の苦しさから自殺した。わずかに生き残ったものは、よほど頑健な者を除けば、職人と学識のある者、元僧侶らである。職人はその技術を村人に買われ、学識のある者は村人に読み書きなどを教えて稼ぎを得た。元僧侶は、御布施をもらうことができたのだ。
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