江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-02-15

鈴ヶ森、小塚原の二つの処刑場が設けられたわけは?

鈴ヶ森と小塚原といえば、江戸の二大処刑場である。家康が江戸に入府する前、処刑場は日本橋四丁目にあったのだが、のちにこの二ヶ所に移され、これが芝田町、最後に鈴ヶ森へと移された。もう一つは、浅草鳥越に移され、次に日本堤下に移されたあと、小塚原へ移された。
徳川家康の入府以来、二つの処刑場が生まれたのは、江戸へ入ってくる者に対する警告の意味があったとみられる。鈴ヶ森は、江戸への西からの入り口付近にあり、小塚原は東からの街道付近にある。処刑場を江戸の入り口につくることで、新たに江戸に入ってくる者たちに、処刑された者の姿が見えるようにしたのだ。
江戸の刑罰の基本には、「見懲らし(みこらし)」という考え方があり、庶民に刑罰の恐ろしさを見せ付けていた。磔は公開で行われ、獄門の刑にあった者の首は道端にさらされた。どんな恐ろしい目にあうか、新参者に見せつけることで犯罪を予防したのだ。
なお、小塚原で処刑された者には、慶安の変で幕府転覆を目論んだ由比正雪、鼠小僧次郎吉らがいる。鈴ヶ森で処刑された公式第一号は、慶安の変に連座した丸橋忠弥ということになっている。八百屋お七も、ここで処刑された。
小塚原と鈴ヶ森のどちらで処刑されるかは、当初はどちらが犯行現場に近いかで決まった。のちに、日本橋より北に生まれた者は小塚原、日本橋より南に生まれた者は鈴ヶ森で処刑されることになった。。
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