江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-02-27

借金を踏み倒された金貸したちの運命は?

江戸時代、幕府による「棄損(きえん)令」が二度だされている。一度目は、寛政の改革時の1789年(寛政元年)に発せられ、5年以上前の借金を棒引きし、それ以降は金利が下げられた。二度目は、1843年(天保14年)、天保の改革の際に発せられ、未払い債権をすべて無利子とし元金は原則として20年賦返済となった。
といっても、すべての借金を棒引きにしたのではなく、対象としたのは、札差が旗本と御家人にかしていた分だけだった。当然ながら、旗本や御家人には「夢ではないか」と小躍りした者が多数いたほど歓迎された。
一方、金を貸し付けた札差にとっては、まさしく悪夢だった。札差は、もとは旗本や御家人に支給される米の仲介業者であり、浅草蔵前に店を出し、仲介手数料を取るとともに、給米を担保に金を貸していた。その貸付金や利子がチャラになったのだからたまらない。
寛政の改革時には、総額120万両(約960億円)もの借金が帳消しになったという。その数日後、28人の札差が経営を維持できないと訴えたが、その程度で、お触れが撤回されるわけがなかった。
その後、札差には、経営難から閉店に追い込まれる者もあり、幕府も、5万数千両の資金を用意して札差救済に乗り出したが、120万両という総額を考えると焼け石に水だった。
さらに、それから50年ほど後の天保の改革時の棄損令は、借金棒引きではなかったものの、無利子の20年返済ということは実質的には踏み倒しだった。やはり、札差には閉店に追い込まれる者が少なくなかった。
その後、幕府から、借金の返済についての訴訟は受理しないので、当事者間で解決するようお達しが出ると、札差には、借金を返さない武士の馬や駕籠にすがりつき、直訴する者も現れた。
江戸時代後半は、商人が力をつけていたとはいえ、所詮は武家の社会。幕府が強権をふるえば、町人である彼らにできる抵抗は、その程度のものだった。
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