江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-03-03

「御家断絶」を招く最大の原因とは何か?

江戸時代の大名家にとって、最大の課題は家督相続だった。万一、家督相続に失敗すると御家断絶となり、一族朗党はもちろん、家臣たちも行き先を失ってしまう。
実際、大名が廃絶されたケースをみると、家督相続の失敗が最大の要因になっていたことがわかる。幕法への違反、乱心や病気というケースもあるが、世嗣(せいし)がいなかったからというケースが半数近いのだ。
江戸時代、幕府は、武家の相続に関して「長子単独相続」を基本とし、世嗣の長子がいない場合は、その家を断絶させた。江戸初期には、松江藩主・堀尾忠晴、松山藩主・蒲生忠知らが、世嗣がいなかったために、改易の憂き目にあっている。
だから、各大名たちは、家督を相続したら、妻をめとり、妾をつくり、子作りに励んだ。めでたく男の子が誕生すればいいが、いつまでたっても男の子が生まれないときはどうづるか。他家から男の子を養子とし、世嗣をした。
また、当時は医療技術が未熟だったから、男の子一人では早くに亡くなってしまうおそれがあった。次男、三男、四男をもうけ、もし長男が早く死去したときは、二男以下を世嗣とした。
問題は、世嗣を立てない藩主が急に危篤状態に陥ったときだ。このとき、あわてて養子縁組をしても、当初、幕府は「末期養子」といって認めなかった。こうなると、なくなく御家断絶だ。江戸初期にはそんなことが多く、巷には、浪人があふれた。しかし、それが原因となって、浪人を集めて幕府転覆を画策した由比正雪の慶安事件が起こったため、幕府はそれ以上、浪人を増やすことを警戒するようになった。こうして、幕府は末期養子を認めるようになったのだ。
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