江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-03-06

10代将軍・家治が政治を顧みなかった理由とは?

幕府中興の祖をされる八代吉宗は、子どもの九代将軍・家重が病弱だったため、利発な孫に期待をかけた。吉宗は、早くから孫の家治をかわいがり、手元で帝王学を授けた。しかし、その教育は、裏目に出たといえるだろう。
家治は、1760年8年(宝暦10年)、父・家重が死去すると、23歳の若さで、世の期待を担って10代将軍の座についた。ところが彼は、祖父吉宗のような政治を行わなかった。幕政のすべてを側用人の田沼意次に委ね、自らは書画や将棋に熱中するばかりだったのである。
家治が田沼まかせの政治を選んだのは、一つには「田沼を重く用いよ」という父家重の遺言があったからである。祖父吉宗らから、儒教教育をしっかりと受けてきた家治は、父の遺言に逆らうことができなかった。その田沼は、家治の期待に応えて、自らの考える経済改革を進めていった。
こうして実権を握った田沼は、ライバルとなりそうな者を次々と追い落としていった。この時代、田沼のほかにもすぐれた力量を持つのももいたのだが、田沼は彼らを将軍から遠ざけた。その結果、家治の視野には、田沼以外には有能な人物が見当たらなくなった。
また、家治がやる気を失ったのは、子どもが次々と亡くなったこともあっただろう。家治には二男二女がいたが、家治の存命中に若くして命を落としていったのだ。跡継ぎを失っていく悲しみも、家治を政治から遠ざけた理由の一つのようだ。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 徳川

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