江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-03-09

吉宗のご落胤をかたった天一坊の正体とは?

八代吉宗の時代、品川に、吉宗の御落胤(ごらくいん)と名乗る一人の山伏が現れた。名前を「天一坊改行」と名乗り、「近々大名のお取立てになる」と話しては、大勢の浪人を集めていた。関東郡代もその事実をつかんだが、事が事だけに慎重に調を進めることになった。
調に応じた天一坊の話によれば、彼の母は城に奉公に出ているときに妊娠し、紀伊田辺の実家でへ帰されてから彼を産んだという。
その後、彼は母とともに江戸へ出てきた。母が持参していた由緒書きは消失してしまったが、母には子どものころから「吉」という字を大切にせよと聞かされていた。母が死ぬと、伯父から「公儀からお尋ねがあるであろう」と聞かされた。それらのことを考え合わせれば、自分は将軍の御落胤であり、近々大名に取り立てられるのは、間違いないという。
ところが、関東郡代がさらに調査してみると、天一坊は「将軍にお目通りしても扶持ももらってる」「上野寛永寺での法事に参拝し、銀30枚を香典としてお供えした」などと嘘八百を並べていることが発覚。天一坊は即座に捕らえられ、品川で獄門となった。
この事件は、後に『大岡政談』に取り入れられ、大岡越前守の名裁きとして歌舞伎や小説の題材になっているが、実際には大岡はこの事件にかかわっていない。
さて、この天一坊が本当に吉宗の子だったかどうかについては、吉宗本人は「覚えがある」と答えたようだ。実際、まだ将軍になる前、奉公に来ていた女性たちと関係をもっていたらしい。しかし、当時はDNA判定どころか、血液型もわからない時代。天一坊と名乗った男が本当に吉宗の子だったかどうかは、調べようもなかった。
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