江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-03-11

江戸時代、公家はどうやって生計を立てていた?

江戸時代、京都の公家(くげ)たちは冷遇されていた。公家は、戦国時代にはすでに零落していたが、何事にも気前のよい豊臣秀吉が天下をとると、何かと大事にされ、再び収入を得るようになっていた。しかし、次に権力の座についた徳川氏は、公家に冷たかった。
公家の所領を見てみると、その多くはわずかに2~300石程度。公家のトップである、五摂家(ごせっけ)の近衛(このえ)家の所領でさへ、1800石だった。それでは、旗本の中級レベルにすぎない。
江戸時代、貧乏武士は食い詰めて、中には武士の身分を売ってしまう者もいた。公家も貧乏武士同様、食い詰めて路頭に迷っても不思議ではなかったが、なんとか持ちこたえることができたのは「家元」という”アルバイト”を始めたからである。
公家の強みは、長い伝統とそれに基づく学識である。この時代、和歌や書道、装束、琵琶などの古い大和文化を知っているのは、すでに公家だけになっていた。彼らは、その文化の伝承者として家元になり、そこから収入を得ていたのだ。
たとえば、冷泉(れいぜい)家や飛鳥井(あすかい)家、烏丸(からすま)家は和歌の家元となり、青蓮院(しょうれんいん)宮家や有栖川(ありすがわ)家は書道の家元になった。西園寺(さいおんじ)家と伏見宮(ふしみのみや)家は、琵琶の家元となった。ほかに、蹴鞠(けまり)や花、包丁、香道、医道、鷹匠、和琴、神楽(かぐら)、笙(しょう)、笛、卜筮(ぼくせい)などの家元があった。
天下泰平の世が続けば続くほど、こういった文化を求める者が増えたので、江戸時代を通じて一定の需要があったのだ。公家たちは、少ない所領収入にこれらの家元収入を足すことで、なんとか明治維新まで生き延びたのだ。
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tag : 歴史 江戸時代 雑学

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