江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-03-22

シーボルトが国外へ持ち出そうとした禁制品とは?

江戸後期に来日し、長崎の出島で医者として働いたシーボルト。1824年(文政7年)には鳴滝塾を開いて西洋医学を教え、楠本滝と結婚して娘をもうけるなど、親日家としてもしられる医学者である。
ところが、来日の本当の目的は、日本の内情調査だった。現在では、ドイツのプロセイン政府から送り込まれたスパイだったというのが定説になっている。
事実、ドイツ人なのに、オランダ人と偽って入国。オランダ語の怪しさを指摘されると、「山地オランダ人だからだ」と答えている。海面より低い国オランダに山はないのに、ウソをついて日本への潜入に成功したのだ。そして、四年間の滞在後、帰国するシーボルトは日本地図を持ち出そうとして逮捕された。
1828年(文政11年)8月、長崎に停泊中のオランダ船が台風で破損し、修理が必要になった。その際、積荷が検査され、すでに積み込まれていたシーボルトの荷物から数多くの禁制品が発見されたのである。
その中でいちばん問題になったのは、伊能忠敬による『大日本沿海與地全図』などの地図類だった。
当時、幕府は日本地図の海外持ち出しを禁止していた。シーボルトに地図類を渡した幕府天文方兼御書物奉行の高橋景保は、二ヵ月後に逮捕され、翌年に獄死。シーボルトも、幕吏が長崎に出張して尋問を受けている。
ところが、禁制品の発見から尋問まで三ヶ月近い日数があったため、地図は押収されたものの、シーボルトは地図類を書き写し、まんまと持ち出すことに成功している。
ちなみに、シーボルトは、幕末にオランダの貿易会社顧問として再来日、開国騒動の中、対外交渉のための幕府顧問に就任している。
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tag : 歴史 江戸時代 雑学

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