江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-04-07

江戸の人々の飲料水はどうやって供給された?

徳川家康が江戸を建設する際、もっとも苦労したのは、飲み水の確保だった。当時の技術では、井戸を深く掘ることができず、江戸湾に面する土地から汲み上げられる地下水には塩分がまじっていたからだ。
そこで家康は、1590年(天正18年)、大久保忠行に上水道の建設を命じる。忠行は、高田川から水を引き、初めての上水道である「小石川上水」を完成させた。そして、三代家光の時代にこの上水が拡張されて、井の頭池から取水する「神田上水」が完成する。
神田上水は、井の頭から和田(杉並区)、落合(新宿区)を経て、関口(文京区)に至り、そこに築いた大洗堰でせき上げたのち、水戸藩邸(現在の後楽園一帯)まで開削路を流し、さらに神田川を懸樋で渡して、神田や日本橋など江戸東北部に飲み水を供給していた。
一方、四谷、麹町、赤坂といった江戸の西南部には、赤坂の溜池(現在の「溜池」という地名の由来)を水源とする溜池上水によって水が供給されていた。
ところが、時代とともに、溜池の水質が悪化すると、幕府は、多摩川の水を江戸へ引き入れる壮大な計画を立て、民間の玉川庄右衛門、清右衛門兄弟に工事を命じる。工事は1653年(承応2年)4月に始まり、約八ヶ月かけて羽村取水口から四谷大木戸に至る約43キロの水路が完成した。
さらに、翌年には、虎ノ門まで石樋、木樋による地下水路も完成。江戸城をはじめ、四谷から赤坂、芝や京橋方面にも飲み水が供給できるようになった。
その後、江戸中心の飲み水は、幕末まで神田上水と玉川上水(千川上水などの分水も含む)によって供給されつづけた。
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tag : 歴史 江戸時代 雑学

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