江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-05-21

丁稚から番頭への出世の道のりとは?

江戸時代の少年が、商家へ丁稚として奉公にあがったのは12、13歳のころ。その後の出世は。業種や店の規模によって異なるが、丁稚から手代に昇進し、番頭になるのが一般的なコースだった。
丁稚は、親元を離れて商店へ住み込み、まずは主人のお供や子守、掃除などの雑用にこき使われた。早朝の掃除から夜の後片付けまでびっしり働かされ、その後は読み書き、そろばんの稽古をする。文字を書きながら寝入ってしまう子も少なくなかった。また、先輩からいじめられることもあり、逃げ出したり、親元へ帰る子もいた。
しかし、そういったつらい日々に耐え抜かなければ、出世はできなかった。
丁稚が17、18歳になると、前髪を剃りあげ、手代の見習いになる。21、22歳ぐらいになると、一人前の手代として認められ、名前も△松、△吉、△七などに改めた。
手代は、今の社会でいえば、係長クラス。番頭の指示に従って仕事をこなし、部下の丁稚たちの面倒もみた。閉店後は自由時間となるので大人の遊びを覚えるのも、このころのこと。人形浄瑠璃などの心中物も、たいていは手代が主人公の一人である。
てだいが、番頭に昇格するのは30歳前後。このころになると、同期奉公組は一人か二人になっている。つまり、番頭は、出世競争に勝ち抜いたエリートともいえるのだ。会社でいえば、部長クラスである。名前を△助と改め、結婚することもできた。
当然ながら、店での責任は重くなり、主人に代わって、商品の仕入れから販売まで営業のすべてを取りしきった。また、丁稚や手代の働きぶりはもちろん、私生活を監視するのも重要な役割だった。
大きな店では、大番頭、中番頭、小番頭と序列のあるところもあったが、主人から番頭としての働きぶりを認められると暖簾わけとなり、晴れて店のオーナーになることが許されてた。
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