江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-05-29

八百屋お七の事件から生まれた迷信とは何?

1966年(昭和41年)に生まれた人は、その前後の年に比べて極端に少ない。前年の65年が182万人、翌年の67年が194万人なのに、66年は136万人子どもの数が極端に減ったのは、江戸時代から、「丙午生まれの女性は気が強く、夫の命を縮める」という迷信が信じられてきたため、丙午にあたるこの年に出産を控えた人が多かったからだ。
60年に一度めぐってくる丙午は、「丙」も「午」も火性で、火性が重なる。そこからも丙午の年には火災が多く、またこの年生まれの女性は気が強いといわれる。加えて、放火事件を起こした「八百屋お七」が、丙午の生まれだという話から、とくに江戸中期以降、この迷信は広く信じられるようになった。ところが、八百屋お七は、実際には丙午生まれではなかったとみられる。
お七は、1682年(天保2年)12月の火事で、お寺へ避難した際、その寺の小姓にひと目惚れした。翌83年、彼女は恋しさから、愚かにも自宅が火事になれば再会できると考えて自宅に火をつけた。
放火の罪で捕らえられたが、彼女はまだ数えで16歳(満14歳)になったばかり、哀れんだ奉行は「15だろう」と尋ねた。15歳以下は罪一等を減じられ、死罪にはならなかったからである。ところが、お七は正直に16歳であると答え、鈴ヶ森で火刑に処せられた。のちに、井原西鶴がお七のことを『好色五人女』で描き、以降、歌舞伎や浄瑠璃で何度も上演された。その中で、お七が丙午の生まれであるという説が広まり、丙午生まれの女性は気が強いという迷信が広まったのである。
お七の生まれは明確ではないものの、1668年(寛文8年)生まれという説が有力で、それが正しければ、丙午の二年後、戊申の生まれになる。
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genre : 学問・文化・芸術

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