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江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


2008-06-02

神田祭、山王祭が「天下祭り」といわれるのはなぜ?

現代、「江戸の三大祭り」といえば、神田祭、山王祭、三社祭といわれる。このうち、神田祭と山王祭は、江戸時代から特別な祭りとされていた。ともに「天下祭り」と呼ばれ、江戸最高の祭りだったのだ。
天下祭りは、幕府が公認しているところから、御用祭りともいわれた。天下祭りになると、神輿や山車、屋台などの行列は、江戸市中を回るだけではなく、江戸城内に入ることを許された。江戸城内では、将軍や大奥の女性らが神輿行列を見物し、楽しんだ。将軍上覧の祭りだから、天下祭りと呼ばれた。
天下祭りのうち、山王祭は山王権現の祭りであり、山王権現は徳川家の産土神(うぶすなかみ)であった。神田祭は神田明神の祭りであり、神田明神には関東を鎮護するとされる平将門が祀られている。そこから、山王権現と神田明神は江戸の守り神と見られていた。天下祭りは、ともに江戸を守護する神の祭りだったのである。
1681年(天保元年)以降、神田祭と山王祭は交互に隔年で行われるようになる。神田祭は今は5月15日ごろに行われるが、江戸時代は陰暦9月14日に始まった。山王祭は、6月14日にはじまった。
天下祭りには、山王祭と神田祭の二つ以外に、一時、根津権現祭も加わった。根津権現が六代将軍・家宣の産土神であったためだ。1714年(正徳4年)には、根津権現の神輿も江戸城内に入っている。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史江戸時代雑学

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だから江戸三大祭は山王・神田・根津という説があるんですね。

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江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

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