江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-06-06

戯作者たちがペンネームを使った背景は?

江戸の戯作者たちの多くは、本名ではなく、ペンネームを使った。戯作者とは、滑稽本などの作者のことなので、たしかに実名を出すのは恥ずかしいところがあったかもしれない。だが、ペンネームを使ったのには、さらに切実な理由があった。
戯作者の多くは、武士たちであったのだ。幕府の風俗を監視する目は、町人よりも武士に対して厳しいところがあった。そこで、彼らは咎めを受けることを恐れ、町人風のペンネームを用い、幕府の目をごまかそうとしたのだ。
たとえば、『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九も、もとは駿府の武士で、本名は重田貞一という。『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』で知られる恋川春町は、駿河小島藩の江戸詰用人で、本名は倉橋格といった。『僞紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』の柳亭種彦は、200俵取りの小普請組の御家人で、本名は高屋彦四郎知久である。
彼らは、武士といっても下級武士であり、懐は乏しかった。そこで、生活費を稼ぐアルバイトとして、戯作活動に勤しんだのだ。同時に野心もあった。
彼らは、武士であるかぎり、その才能を発揮する場に恵まれなかったが、戯作者としてなら才能を存分に発揮できる。さらには、下級武士の身ではどうにもできない世の中を揶揄したい気持ちもあっただろう。
では、彼らにお咎めがなかったかというと、そうはいかなかった。恋川春町は『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』で、寛政の改革を揶揄し、幕府の怒りを買う。柳亭種彦は、天保の改革で幕府から譴責を受けた。恋川春町も柳亭種彦も、その後すぐに亡くなったため、自殺説も流れたほどだ。
現在では、両者とも病死だったと判明しているが、逆にいえば病気で寝込むほど、幕府の怒りを受けたダメージは大きかったということだ。苦心のペンネーム作戦も、幕府の目をそらすには、さして役立たなかったのだ。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 雑学 江戸時代 武士

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いつでも遊びに来て下さい、歓迎しますから(^-^)
江戸時代だったら特に幕末が好きですね、竜馬が行くも、読みましたしw
またお邪魔しちゃいますね♪
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江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

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