江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
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2008-07-02
江戸時代、不倫がバレたらどんな刑罰が待っていた?
江戸時代は、建前として「妻の不倫」は許されていなかった。不倫がバレると、厳しい処罰が待っており、一家を巻き込む大騒動になった。明暦元年(1655年)に、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、不倫は男女同罪とされ、夫は、密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。じっさい、妻を寝取られた武士が現場を押さえた場合は、即座にその不倫相手を斬り殺すことも許されていたのだ。
さらに、寛保2年(1742年)の『公家方御定書』でも、不倫した妻と相手の間男は死罪とされた。男は裸馬に乗せられて市中を引き回しのうえ、斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。女は斬首の刑に処されることになった。当時の川柳にも「枯れ木の枝と間男は登りかけたら命がけ」と詠まれている。ただし、不倫で本当に死罪になるのは、相当の悪妻だけだったという。悪妻が不倫でもしようものなら、夫はこれで堂々と別れられると喜んで訴えたというわけだ。しかし、妻かわいさから、ほとんどのケースでは内々で問題を処理していたといわれる。
また、江戸時代も中期になると、不倫する者が後を絶たなくなり、死罪は重過ぎて現実的ではないという批判もあって、不倫は労役刑となった。不倫した女房は吉原に売られ、数年間、遊女として働かなければならなくなったのだ。しかし、そのころになると、夫のほうも、その多くは、親類縁者が立ち会って示談金で解決する道を選んだ。女房を寝取られた夫にすれば、ハラワタが煮えくり返る思いだろうが、示談金を受け取ることで、泣く泣く腹の虫をおさめたのだった。
金額は、大判一枚。当時、大判一枚は10両(約50万)に相当したが、じっさいには貨幣価値に合わせて、7両2分が支払われた。花魁の花代が3分(4分で1両)だったので、間男の代償はすいぶんな高額だった。
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