江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-07-20

僧侶が通った「陰間茶屋」とは?

江戸時代は男色が盛んで、将軍にも男色者がいた。上がそうなら下も同様で、武士や町人には、女性よりも男がいいという者が少なくなかった。
彼らは、好みの芸者に言い寄って思いを遂げたいのだが、なかなかそれができない男もいる。あるいは、いろいろな少年を味わいたい男もいる。そんな欲望に応えて、江戸では「陰間茶屋」が繁盛していた。
陰間とは、もともと歌舞伎俳優を目指す少年のことをいったが、しだいに男相手に売春する12~18歳くらいの少年のことを指すようになる。実際、歌舞伎役者の卵が売春することも多かった。もともと、彼らは贔屓客に体を買われることが多く、それがいつしかシステム化され、陰間茶屋ビジネスに成長したのだ。
陰間茶屋は、湯島天神前や芝明神、麹町天神前など、江戸各地に点在し、メッカは芳町だった。芳町の近くには、中村座や市村座などの芝居小屋があり、役者志望の少年、つまりは陰間が多かった。1764年(明和元年)の芳町には、24軒もの陰間茶屋が並んでいたという。
陰間目当ての客には武士や町人もいたが、一番のお得意様は僧侶だったという。僧侶の場合、女犯が露見すると重罪に問われる。実際1610年(慶長15年)から1866年(慶応2年)までの257年間に、、八丈島に島流しになった者1813人のうち、221人は僧侶だった。彼らの多くは、女犯の罪を犯したとみられる。
そこで僧侶たちは、島流しを避けるべく、安全な陰間茶屋に足を運んだというわけだ。陰間茶屋で一日陰間を買い切ると三両はかかったというが、僧侶にはその資金力もあったのだ。陰間でいられるのは、18歳くらいまで。骨太の成人男性になってしまうと、もうお客はつかなくなる。その後、元陰間たちは、今でいう”ホスト”に転職し、未亡人や御殿女中を相手に励み続けたのである。
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