江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-07-25

「三の酉には火事が多い」説と吉原との意外な関係?

江戸に火事が多かったのは、木造住宅が密集していたこと、そして冬場は空気が乾燥しているために、またたく間に燃え広まったことが原因とされている。じっさい、空気が乾燥しはじめる11月ごろから、江戸では火災が頻発したが、なかでも「三の酉」のある年は、とくに火事が多いといわれた。じつは、このウワサの出所は、世の中の女房族。女房たちが亭主の浮気を封じるため、こういいはじめたのだ。
毎年、11月になると、江戸の町には酉の市が立ち、多くの人が参拝した。鷲(おおとり)神社の酉の市の名物が熊手であったところから、福をかき込む→縁起がいいとされ、くわえて酉が「(お客を)取り込む」に通じるところから、とくに商売人や花柳界の人々の信仰を集めていた。もちろん祭り好きの庶民もお参りしたが、その鷲神社があったのは下谷竜泉町。つまり、浅草の近くで、そのすぐそばには吉原があった。そのため、世の亭主たちには、参拝にかこつけて、吉原で遊ぶ者が少なくなかったのだ。酉の市は、ふつう月に二度だが、何年かに一度は月に三回開かれる年がめぐってくる。その年の11月には、亭主たちは、酉の市にかこつけて、月に三度も吉原へ足を運ぶ者がいたのである。
しかし、女房たちは、二度までは許しても、三度目は許しはしなかった。家計に響くという理由もあれば、嫉妬もある。亭主の吉原通いをなんとか阻止しようと、「三の酉の年には火事が多い。だから、夜遊びはほどほどにしなよ」といいはじめたのだ。
女房のなかには、あろうことか、本当に空き家に放火して、信憑性をもたせようとする者もいたという。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 庶民

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