江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-08-07

江戸時代、時間を知るのにもお金が必要だった?

江戸の庶民の生活リズムを刻んでいたのが「刻の鐘」だ。戦国時代にヨーロッパから時計が伝わっていたものの、時刻というものにたいする庶民の認識はあいまいだった。それが徹底されることになったのは、寛永3年(1626年)に、日本橋の石町(こくちょう)で、江戸ではじめて刻の鐘がつかれてからだといわれている。日本橋をきっかけに、上野、浅草、市谷八幡、芝切通、本所横川、目黒不動、赤坂田町、四谷など、江戸の町域の広がりとともに刻の鐘が設置されていき、江戸のどの町のどこにいても鐘の音が聞こえるようになっていった。
これによって、江戸住民の生活は便利になったが、その便利さはタダではなかった。じつは鐘の音の聞こえる範囲に住む者は、「鐘役銭」という鐘の音利用料のようなものを徴収されたのである。その料金は、家一軒につき永楽銭(江戸初期まで流通していた基本貨幣)で一か月一文。びた銭(品質が劣悪な通貨)なら四文だった。料金の徴収対象は地域によって異なったが、町人から徴収しただけではなく、武家からも禄高に応じて徴収したところもあった。
上野の鐘もその部類で、上野山下八町四方の町屋、武家、大名屋敷などから徴収していた。そこには前田家、藤堂家、佐竹家、酒井家などそうそうたる顔ぶれの大名がいたから、鐘役銭の額もかなりのものになっていたにちがいない。
また、江戸の刻の鐘は打ち方に特徴があった。最初に三つ、捨て鐘をついたのである。だから明け六つを知らせるには、全部で九回ついたわけで、ゴォ~ンという響き九つ数えてようやく時刻がわかるというのんびりしたものだった。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 庶民

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