江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-08-10

江戸時代、迷子が出たらどのように探していた?

江戸時代中期になると、争乱のない世が続いていて文化が爛熟。江戸の人々には生活を楽しむ余裕が生まれていた。見世物小屋のならぶ両国、芝居見物の浅草、名のある寺社の祭礼など、遊興地は多くの人でにぎわっていた。そんな場所につきものだったのが迷子である。
当時の警察である町奉行所は、犯罪捜査に手いっぱいで、迷子にまで手がまわらなかった。そこで、町の人々は自衛策をとった。子どもに迷子札をつけさせたのだ。木札に名前・年齢・住所などを書いて紐をつけ、子どもの首からぶらさげておく。これなら見つけた人に、どこの家の子なのかがすぐわかる。しかし運悪く迷子札のない子だったときは、見つけた人がその背格好、着ているものなどを紙に書いて、迷子石に貼っておいた。
迷子石とは迷子を親元に帰すための伝言板的役割を持っていた縦長の石柱のことである。この石柱には迷子を見つけた人だけではなく、子どもが迷子になった親も、子どもの人相や着物のほか、ホクロや傷といった特徴、クセなどを書いて貼った。迷子石のいっぽうの面は「しらす方」と迷子を見つけた人用、もういっぽうの面は「たづぬる方」と迷子を探す人用に区別してあった。迷子を出した親は迷子石に自分の子の特徴を記した紙を張るいっぽうで、その裏側に貼られた紙を見て、自分の子のことが書かれていないか調べたのである。
この迷子石の誕生は、八代将軍吉宗の時代に「掛札場」という迷子や身元不明の行き倒れを知らせる、いわば伝言板のようなものがつくられたことがきっかけになっている。この掛札場の掲示期間が七日間しかなかったため、期限のない掲示ができるものが必要だと、町の篤志家が迷子石を設けたのだ。
迷子石が立てられる場所は、人通りの多い橋のたもとと、寺社の境内など人目につきやすい所が選ばれた。掲示は見つかるまではがされることはなく、迷子を出した家は新しい貼り紙がないか、毎日のように迷子石に通った。
いっぽう、迷子になった子どもは見つかった町で保護され、親が迷子石を見て現れるのを待った。しかし、現れない場合も少なくなかった。そんなときは「捨て子」としてあつかわれた。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

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はじめまして

いつも楽しく拝見しています。
この写真の「迷子石」は何処のものですか。私は一石橋の迷子石を見てきました。
こんな説明がありました。
江戸時代も後半に入る頃、この辺から日本橋にかけては盛り場で迷子も多かったらしい。迷子がでた場合、町内が責任を持って保護することになっていたので、付近の有力者が世話人となり、安政4年(1857)にこれを建立したものである。
柱の正面には「満よい子の志るべ」、右側には、「志らする方」左側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがある。利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を張り、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに貼って迷子や尋ね人をしらせたという。いわば庶民の告知板として珍しい。このほかに浅草寺境内と湯島天神境内にもあったが、浅草寺のものは戦災で破壊された。

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江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

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