江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-08-12

捨て子は町内で責任をもって養育する?

江戸時代には、「捨て子」は珍しいことではなかった。その原因をつくる要素が江戸の町には多かったからである。性意識がおおらかだったため未婚の奉公人女性の出産が少なくなかったし、夫に先立たれて路頭に迷った若妻や、逆に妻に死なれた一人暮らしの夫、“江戸の華”といわれた火事で住まいも仕事も失った夫婦など数えあげればキリがない。しかし、捨て子のための救済の道も設けられていた。それが「捨て子があった場合は、見つかった場所の町内が責任をもって養育にあたる」というものだった。
捨て子が発見されたら、まず町内の世話役が町奉行所に届け出をする。すると、「先に届けた捨て子は幕府からの預かりものとして大切に育て、大病をしたときなどは報告する」という請書を提出させられ、町内に養育の義務が課せられるのである。この義務は捨て子が10歳になるまで続いた。そのあいだにも里親を探し、もし見つかれば里親希望者の「責任をもって育て、行くは養子にする」などと記した念書に、捨て子養育を負う町役人が共同署名して、あらためて奉行所に届け出た。幼児の死亡が多かった時代だから、我が子を亡くしたばかりの夫婦などが養子を望むことは多かった。そのため養子縁組の手続きは面倒でも、成立率は高かったようだ。
こうした制度は、貞享2年(1685年)に発令された「生類憐みの令」から生まれた。この条例は並みはずれた動物愛護で知られているが、動物だけではなく、捨て子も大事にするよう定められていたのだ。そして、条令が廃止になった後も、慈善性が高いとして捨て子にかんする部分だけは適用され続けたのである。
このように、江戸時代に捨て子があっても立派に育てあげるという福祉システムがととのっていた。ただし、こうしたシステムの充実が捨て子の増加につながっていたという側面も否定できない。手放しで喜べる制度というわけではけっしてなかったようだ。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。