江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-08-23

町火消しの着衣にも決まりごとがあった?

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたほど、江戸時代には火事が多かった。家屋が木造で襖は竹や紙でできてたうえ、冬は雨が少なく空っ風が吹くので、一度火がつくと、またたく間に燃え広がってしまう。
大火は3年に一回はあったといわれているが、なかでも江戸市中を焼き尽くしたのが明暦3年(1657年)の「振り袖火事」である。幕府はこの大火後、火除け地を設けたり、火の見櫓を設置するなど防火対策を強化した。享保3年(1718年)には、南町奉行の大岡忠相の命により、町火消しの制度がつくられた。まず大組が1番から10番まであり、その下に小組「いろは四十八組」が組織された。テレビドラマの時代劇によく出てくる「め組」は、この町火消しの小組のひとつだ。
当時の町火消しの多くは鳶人足で、いつもは道路の補修や警備、祭りの準備、注連縄(しめなわ)づくりをしていた。火事が起きると先陣を切って火事場に駆けつけ、意気と張り(意気地)で勇敢に消火にあたり、多くは英雄視された。その町火消しが着ていた半纏(はんてん)は、ヒーローとしての証しであった。半纏の裏地には華麗で派手な染め柄があり、江戸っ子のこだわりを表している。さらに、火消し半纏の染め柄には、混乱する火事場で、ひと目でどこの組の何の役目のものかがわかるように、いくつかの決まり事があった。
半纏の背中には各小組のマーク、襟には各小組の名前と役職が書かれていたのだ。いろは四十八組には、頭、副頭、小頭、筒先、道具持ちという役職があった。また、腰まわりには白線が書かれた。この白線が1本なら大組1番、10本は大組10番というように白線の数で所属する組がひと目でわかった。さらに頭と副頭の半纏には、赤い線が袖から肩にかけて入れられていたから、これも目立った。
そして外からは見えない裏地にも派手な絵柄が染められた。自分で染め柄をデザインして注文する者や、天然藍染めにこだわる者もいたし、大店の主人などが、ヒーローのために豪華な裏地を贈ったりもした。半纏を染める職人には、型彫師や型付師がいたが、派手な絵柄には、絵師が手描きで絵付けをしていた。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。