江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-09-03

政略結婚といわれた14代家茂と皇女和宮の「夫婦仲」は?

皇女和宮の14代将軍・家茂への輿入れは、終始、幕府主導で行われた。幕府の権威が日に日に失墜するなか、幕府は何がなんでも「公武合体」を推進する必要があった。朝廷の権威によって、幕府を立て直すしかなかったのだ。
一方、朝廷側は、和宮が13歳と年少であること、すでに婚約者がいたことなどから反対していた。このとき、背後で動いたのが、倒幕派の公家・岩倉具視(いわくらともみ)である。和宮の兄である孝明天皇に、国政のリーダーシップを取り返す絶好のチャンスと説き、天皇の持論である攘夷を実行するという約束を取り付けて、輿入れを実現させたのだ。和宮は、無理やり婚約者と引き離され、江戸へと向かったわけだが、では、和宮と家茂の“夫婦仲”は、冷え冷えとした不幸なものだったのだろうか?
予想に反して、二人の仲は良かったのではないかと思わせる“証拠”が、一世紀近くのちの昭和30年代に発見されている。芝増上寺で、徳川家の墓の改葬が行われたとき、和宮は右手にハガキ大の写真を握ったまま、埋葬されていたことがわかったのだ。写真には、正装した一人の男性像が写っていた。幕末当時の湿板写真(ガラス板)だったので、空気に触れると、その男性像はすぐに消えてしまったが、その男性こそ、夫である家茂だったという説がある。
和宮には婚約者がいたといっても、彼女が4歳のときの約束であり、彼女自身は相手に一度も会ったことがなかった。また、家茂は側室をもたなかったことからも、家茂と和宮の夫婦仲は相当良かったと、今は考えられている。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 徳川

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