江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-09-05

江戸無血開城の真の立役者とは?

1868年(慶応4年)1月、幕府は、鳥羽・伏見の戦いで敗れ、その運命は、もはや風前の灯だった。徳川慶喜はすでに上野寛永寺に逃れ、恭順の意思を示していたが、これに納得できない幕府勢の一部が江戸城に立てこもり、最後の決戦に備えていた。しかし、幕府側の勝海舟と、新政府軍を率いる西郷隆盛が会談。勝の「公のために」という説得に西郷が応じ、江戸城の無血開城が実現、江戸の町は戦火を免れた。一般的には、勝が江戸城無血開城の立役者として知られる。それは、自ら宣伝したからで、本当の立役者は別にいた。幕臣の山岡鉄舟である。
勝と西郷の会談に先立ち、鉄舟はわずか2人の供を連れただけで、駿府(現在の静岡県)へ向かう。官軍の本陣を訪ね、西郷に面会を申し入れるためだ。鉄舟は、官軍兵士が警備する中、「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎(通称)まかり通る」と大声で発しながら堂々と歩いたという。そして、西郷に直談判し、江戸総攻撃を譲らない西郷を口説き落とし、無血開城の基本条件について合意を取り付けることに成功したのだ。要するに江戸無血開城の筋道をつけたのは、鉄舟だったのである。勝と西郷の会談は、その合意のもとに行われたものにすぎなかった。西郷も、鉄舟につて「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬという人は始末に困るが、そのような人でなければ、天下の偉業はなしとげれない」と絶賛している。
維新後、本当の立役者は鉄舟と知る役人たちから、事実は違うのにと問われた鉄舟は、「私が事実を公表すれば、勝の名声は地に堕ちてしまう。功名は人にくれてやってもよい」と答えたという。人間として、鉄舟は勝よりも何倍も大きい人物だった。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 徳川

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鉄舟先生

江戸城無血開城で江戸を戦禍から救ったのは天璋院や勝海舟ではなく鉄舟先生であると言うことを日本人の歴史認識として徹底してほしいと思っております。しかし鉄舟先生にとってはどうでもいいことなのでしょうね。
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江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

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