江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2007-11-13

江戸の色街、吉原と岡場所に違いは?

江戸の遊郭というと吉原が有名だが、それ以外にも遊女が男の相手をする場所が多数あった。
深川や品川などが有名で、「岡場所」と呼ばれ、吉原とは区別されていた。
吉原と岡場所がなぜ区別されたのかというと、吉原が幕府公認の遊郭であり、岡場所は幕府が公式には認めていない遊里だったからである。
江戸に幕府ができたとき、江戸の人口は男性のほうがはるかに多く、その性欲を処理する遊女屋が次々と生まれた。
その状況を見ていた庄司甚内というものが、遊女屋を一ヶ所に集めることを考え、幕府に願い出てこれを許可される。そうして生まれたのが、吉原だった。
吉原の特徴は、格式ばったところにあった。とくにランクの高い遊女になると、何度も通ってようやく目的達成となる。もちろん、お金もかかる。そこで自然発生的に、大衆的で手軽な遊里が出来上がっていた。それが岡場所である。
岡場所は格式ばったところが、なく吉原並みの値段の店もあるが、たいていは600文以下で楽しく遊べた。
100文、200文の店もあり、おまけにそれなりの美女をそろえてる店もあった。庶民の人気は、しだいに吉原から各地の岡場所に移っていった。
なぜ「岡場所」と呼ばれたじゃといえば、「岡」には局外、他という意味があるから。「許可を得ていない場所」という意味で、岡場所と呼ばれるようになったのだ。
幕府は、ふだん岡場所を黙認していたものの、目に余ると、ときおり弾圧して潰してしまうこともあった。
幕府は、吉原からは冥加金を受け取り、公娼施設である吉原を保護する立場にあった。
それもあって、岡場所をときどき取り潰したのだが、それでも新しい岡場所がかならず生まれてきた。あるいは、同じ土地に数年後に復活することもあり、幕末には160ヶ所もの岡場所があったとみられる。
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