江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-10-05

「放火犯」は未遂でも火あぶりの刑?

江戸は大都市だったため、家が密集しており、長屋が多く建てられていた。当然のごとく、ひとたび火事が起きると、火の勢いはまたたく間に広まり、大規模火災となった。なんと徳川幕府治世の260年間で、大火事が100回以上も起きたと伝えられる。そうした事情から、幕府は火事を起こした者を厳しく取り締まった。たとえば、火の不始末で、うっかり火元になろうものなら、お咎めをうけ、江戸から追い出されたり、罰金を払わされたりした。
火元になるだけでこれだけの刑に処されたのだから、万が一にも火付け(放火)をしようものなら、厳しい刑がまっていたのはいうまでもない。火付けを企てた者は、たとえボヤに終わって被害がまったく出なくても、有無をいわさず火あぶりの刑に処された。火あぶりにされると、罪人があまりの苦痛に大暴れするため、柱に罪人を縛りつけるときに、絞殺してから火をつけたともいわれている。それほど凄まじい、恐ろしい刑だったのである。火あぶりにされたあとは、3日間死体がさらされ、その後捨てられた。
これほど火付けや火元を厳しく咎めたのは、火事を防ぐという目的のほかに、江戸庶民の恨みを晴らすという意味もあった。一度火事が起こると、火の手はどんどん広がる。江戸時代の消火は、勢いよく広がっていく火をくい止めるために、燃えるものをとにかくなくしてしまうという方法をとった。つまり、火の手が進む方角の家々は、まだ火がついていなくても、火消したちによって、取り壊されてしまったのである。いまのように火災保険があるわけではないから、せっかく蓄えた財産が一瞬にしてなくなってしまうこともあったのだ。すると、明日からの生活の糧もおぼつかないという事態になる。そのため、江戸の住民は火事を恨み、火事の原因となった人間を許すことができなかったのである。じっさい、火付けの犯人は、火あぶりになる前に市中を引き回されて、その顔を皆にさらされた。
いっぽう、武士や商人は、土蔵や穴蔵に財産をしまいこみ、厳重に目張りをほどこして火事による焼失を防いでいた。
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