江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-10-16

「生まれながらの将軍」は「生まれながらの男色家」だった?

徳川三代将軍家光といえば、諸大名に「余は生まれながらの将軍である」と言い放ったことで知られているが、このセリフは、家光のある“生癖”についても、そのままあてはまる。家光は「生まれながらの男色家」でもあったのだ。
家光は、竹千代と呼ばれていた幼年期に、踊りに熱中していたという。当時の江戸では、女歌舞伎が風紀を乱すとして禁止された(1629年)ことから、若衆歌舞伎(少年俳優の演じる歌舞伎)が盛んだったが、竹千代はこれに大いに関心を寄せ、自分も美しく化粧をし、しなをつくって歌舞伎踊りの真似事をしていたのだ。幼いころから、すでにその“素質”はあったようだが、性生活のスタートとともに、彼は男色にのめり込むことになる。
幕府の記録『徳川実記』によると、家光は16歳のとき、坂部五右衛門という小姓を浴室で手討ちにしたという。理由についてはあいまいに書かれているが、「これは主君を犯し奉る天罰なるべし」とあるところからみると、入浴中の家光とコトに及ぼうとしていたらしい。一説によると、家光は五右衛門が同輩と戯れあっていたのを知り、嫉妬のあまり彼を手討ちにしたとされる。
また、青年時代の家光は、三つ下の小姓酒井重澄がことのほかお気に入りで、重澄の家にしばしば夜這いに出かけた。おかげで重澄は、10代の若さで、下総生実2万5000石を領する大名に出世した。しかし、この重澄、27歳のときに病気療養を理由に屋敷に引きこもり、こっそりと妻妾との間に4人の子をもうけた。ところが、これが家光にバレたから大変。とたんに所領を没収されてしまう。先の五右衛門の件といい、家光はひじょうに嫉妬深い男だったとみえる。
当然ながら、家臣たちは、こんな調子で男色にふける家光を心配した。とくに、家光の乳母春日野局は、家光がまったく大奥に足を運ぼうとしないことにあせり、「これでは、お世継ぎができませぬ」と、京都からとびきりの美女を呼び寄せた。そのかいあって、家光はしだいに女性にも関心をもつようになり、お楽の方との間に家綱(四代将軍)を、お玉の方との間に綱吉(五代将軍)を、お夏の方との間に綱重(六代将軍家宣の父)をもうけた。
周囲の気をもませつつも、家光は、将軍として果たすべき務めは、きちんと果たしたのである。
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