江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-10-18

「犬公方」と呼ばれた将軍は、夜も“お犬様スタイル”がお好き?

徳川五代将軍綱吉は、悪名高き「生類憐みの令」によって、「犬公方」という後世に残るあだ名をつけられたが、そんな彼は、性生活でも徹底して“お犬様スタイル”を好んだ。はっきりいえば、綱吉には男色の趣味があったのである。
そもそも、彼の父親である三代将軍家光からして、男好きで知られていたが、綱吉のそれは父親をはるかにしのいでいた。その証拠に、小姓の数が130人と歴代の将軍に比べてやたらと多かった。もちろん、彼らは、綱吉と寝床をともにするために選ばれた美少年たちである。
『三王外記』という著者不明の史書は、次のように暴露している。「将軍綱吉は若者を好んだ。彼らの大部分は色をもって昇進した」
じっさい、綱吉の治世では、12名の小姓が大名に取り立てられるなど、異例の大出世を果たす者が多かった。その筆頭が、わずか50石のから甲府の15万石に成り上がった柳沢吉保。吉保も、おそらく将軍の相手をつとめた一人だったことは間違いない。さらに、『三王外記』はこう続ける。「数十人もの小姓のうち20人余がとくに寵愛されて、柳沢吉保の邸宅に住まされた」
柳沢邸といえば、東京駒込の「六義園」が有名だが、綱吉のために使われた邸宅がどこをさしているかははっきりしない。ともあれ、美少年たちは男ばかりの“大奥”で吉保の家来の監督のもと、さまざまな教育をほどこされた。たとえば、綱吉はスリムな体型を好んだので、食生活を厳しく管理された。また、江戸城と柳沢邸の往復には厳しい監視がついていて、人と会っても口を利くことはできなかった。大奥と同じく、貞操を強いられていたのである。
こうして立派に“調教”された青少年たちは、綱吉の夜のお相手をつとめると、反物や道具類を与えられた。なお、本丸からは、そのほかにも毎度運び出されるものがあった。綱吉が小姓と交わったときに使った、寝間着や布団である。極度の潔癖症だったといわれる綱吉は、夜の汚れ物を江戸城の蔵に封印させていた。なぜ、それらを洗濯するなり、捨てるなりしなかったかは判然としない。
その「御穢れ物」は、綱吉の在世中は蔵のなかに封印され続け、綱吉の死後に芝の増上寺で焼かれた。
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