江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-10-19

やっぱり夜も“暴れん坊将軍”だった?

徳川八代将軍吉宗といえば、時代劇『暴れん坊将軍』でおなじみだが、もちろん、じっさいの吉宗が暴れん坊だったわけではない。
将軍吉宗は、目安箱の設置や新田開発の推進といった享保の改革を行って、破綻寸前の幕府財政を再建した人物。時代劇でおなじみの名奉行大岡忠相を登用したのも彼である。しかし、この名君も、性生活においては文字どおり“暴れん坊将軍”だったとみえる。
たとえば、少年時代の吉宗が、紀州徳川家家老加納将監の家で養育されていたときのこと。当時まだ12歳だった吉宗は、加納家の女中を妊娠させたうえ、自分の母親の侍女にまで手を出した。さらに、16歳のときに狩りに出た先で、山伏の娘を妊娠させたとも伝えられている。そんな非行少年が、のちに「江戸幕府中興の祖」とたたえられるほどの名君となるのだから、人間とは不思議なものである。
ただし、そんな悪ガキ時代を暴くかのような事件が、吉宗の治世に起きている。「天一坊事件」と呼ばれる有名な事件だ。同時代の資料によると、事件が発覚したのは、享保14年(1729年)3月、関東郡代伊奈半左衛門の用人のもとに、とある浪人が問い合わせに訪れたためだった。その浪人によると、品川宿の常楽院という山伏のもとに、天一坊なる男がいて、「われは将軍のご落胤なり」と自称し、近々大名になるといって家臣を集めているという。浪人は、その話が本当かどうか尋ねに来たのだった。
もちろん、詐欺師天一坊は捕らえられて調べ上げられ、翌月死罪となった。捜査の結果、吉宗の子でもなんでもないことがわかったからだが、吉宗は陰で胸をなでおろしたに違いない。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学 徳川

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