江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-11-10

節分の豆まきは12月に行われていた?

今日では「鬼は外、福は内!」と声をあげながら豆まきをする節分は、立春の前日にあたる2月3日前後である。しかし、江戸時代は12月に、新年を迎える行事のひとつとしてとりおこなっていた。
そもそも、節分の豆まきは平安時代の大晦日の宮中行事である「鬼やらい」を受け継いでいる。鬼やらいとは鬼に扮した者に豆を投げつけて追い払うという行事。新年を迎えるにあたり、鬼が象徴している病気や災害などの災厄が来ないよう追い払い、新年の福を迎えようとした。江戸時代でもそれは変らず、師走のあわただしいなか、豆まきが行われていた。
それがなぜ現在のように2月に行われるようになったのだろうか。これには、明治維新で旧暦が新暦に変ったことが関係している。旧暦では節分は12月の12日から28日あたりに迎えていたが、新暦になると立春が2月になったため、その前日にあたる節分も同様に12月から2月になったのだ。いまでも年賀状に「新春」や「初春」「迎春」という言葉を使った挨拶文を書くのは、正月がすでに暦の上では春になっていた旧暦時代の名残なのである。
節分とは、元来が春夏秋冬の四季を暦のうえで区分する立春・立夏・立秋・立冬の前日をさし、年に4回ある。それが冬と春を分ける節分にだけ豆まきという行事が生まれたのは、新年を迎えるための儀式だったからだ。江戸の町家では、厄を払う豆をまくほか、悪霊払いに効き目があるといわれるヒイラギの葉にイワシの頭を刺して門口に吊るしたりした。また現代と同様に、自分の年齢よりひとつ多い数の豆を食べた。
豆には再生・増殖の霊力があると信じられていて、年齢を重ねて磨り減った力を豆で補い、さらにひとつ多く食べることで新年の活力を得られると考えられていたのである。
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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

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