江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-11-19

奉公人の出世競争はこんなに過酷だった?

長屋に住む庶民の子どもたちの多くは、10歳前後になると、大きな商家などに奉公に出された。関西では「丁稚」、関東では「小僧」から奉公はスタートする。
修行時代は厳しく、10年間はご飯を食べさせてもらいながら「行儀見習い」ということで無給。さらに、最初の3年間、里心がついてはいけないというので、実家に帰ることは許されなかった。3年がすぎると休みがもらえたが、正月と盆の年2回だけ。それも一日だけか多くても三日しかなかった。この年に2回の休みを薮入りといった。
正月の薮入りは1月16日、盆の薮入りは7月16日で、店の主人から着物と小づかいをもらい、親のもとに帰った。遠方の子は、薮入り短い期間では帰ることができないので、「請け人」という保証人のところに挨拶に行くだけだった。
小僧の仕事はおもに雑用で、お使い、掃除、水まき、主人のお供など。そのあいだに商売を見て習い、夜は手代や番頭に「読み書きそろばん」の勉強を教わった。だから外で遊ぶひまなどなかったのである。
5年から9年の奉公期間で手代に出世する者もいたが、その人数は、小僧の3分の1くらいでしかなかった。手代になると足袋がはけるようになり、年4両の給料も出た。さらには「初登り」という40~60日間もの長期休暇がもらえて、国に帰ることも許された。しかし、帰郷しているときに、店から呼び出しの書状がくれば昇格だが、呼び出しがかからず、そのまま解雇されることもあった。解雇されてしまったら、再就職することは不可能だった。どんな店でも、ほかの店で解雇された者は絶対に雇わなかったからである。
この「」登りが5年~6年ごとにあり、それにパスすると番頭に進む道が開ける。だが、これも狭き門で、番頭になれるのは20人に1人程度。番頭に昇格すれば、晴れて妻を娶り、家を持つことができる。とはいえ、妻は店の主人が国元から選ぶため、好き勝手というわけにはいかなかった。
現代のビジネスマンと江戸の奉公人、どちらの仕事のほうがきついだろうか。
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