江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-11-24

江戸城に登城するさいの大名のしきたりとは?

厳しい身分制度が敷かれていた江戸時代、将軍に直接仕える者といえば大名である。大名とは、禄高一万石以上を持つ者をいい、将軍に拝謁できた。さらに、大名ではないが、一万石以下でも将軍に拝謁できるのが旗本、拝謁できない者は御家人といった。
大名は、元旦や五節句などの幕府にとって重要な日や、月次登城といわれる月例の登城日に江戸城に登城する必要があった。この登城のさいには、身分や城持ちか無城かなどの家格によって、控えの間も厳密に区別されていた。「大廊下」は、もっとも家格が高い御三家の控えの間であり、御三家の次に家格が高い加賀前田家、越前松平家、鷹司松平家もここに詰めていた。「大広間」は10万石以上の外様大名である島津家、伊達家、細川家の分家の控えの間であった。
また、「帝鑑(ていかん)の間」は城持ちの譜代大名や旧臣、水戸徳川家や越前松平家の分家の控えの間。「柳の間」は10万石未満の外様大名、表高家などの控えの間であった。「溜(たまり)の間」は、彦根井伊家、会津松平家、高松松平家のほか、10万石以上の譜代大名の定席である。そして、「雁の間」には10万石未満の譜代大名や高家などが控える。「菊の間」は無城で2万石以下の譜代大名や大番頭、書院番頭、小姓組番頭などが詰めた、という具合に細かく区別がなされていたのだ。その上、それぞれの控えの間のなかで、将軍に拝謁するときの座る位置まで決められていた。
さらに、大名たちは朝廷からもらう官位によって、登城するときの衣装が細かく定められていた。官位は一位から八位まであり、宮中に上がれるのは従五位下以上の者であった。大名はすべて従五位下以上である。
江戸城に登城すれば、大名たちはいやがうえにも、自分の家格をまざまざと見せつけられていたのである。
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