江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-12-05

女性と関係を持った僧には厳罰が待っていた?

寺の僧が女性と関係を持つことは「女犯」と呼ばれ禁じられていたが、寺の僧のなかにも戒律を守らない堕落した僧がいた。なかには妾を囲ったり、遊郭に通う者さへいたという。
では、この女犯が明るみになった場合、どのような罰を受けたのだろうか。これは、ケースによって異なる。まず、修行中の僧が未婚の女性と通じた場合には、三日間さらし者になったうえ、各宗の規律によって処罰された。寺からの追放という形がとられることが多かったようである。次に、寺持ちの僧が未婚の女性と通じた場合には、島流しの刑に処された。上位のものほど戒律は厳しく守らなくてはならないということだろう。
最後に、修行中の僧か寺持ちの僧かにかかわらず、既婚の女性、つまり人妻と通じてしまった場合には獄門に処された。獄門とは死刑の一種で、斬首の上、首をさらす刑である。いずれの場合も女犯が発覚した場合には、厳しい罰が待っていたことがわかる。そのため、なんとか見つからないようにと、愛人を寺の奥深くにかくまったり、同じ坊主頭である医者に化けて遊郭通いをする僧もいた。しかし、幕府が取り締まりに力を入れていたため、女犯が明るみに出る僧は多かった。
江戸時代にこのような堕落した僧が多かった理由のひとつには、もともと徳を積むのは、みずからが率先して行うことだという考えが日本にはあり、戒律を厳しく定めなかったということがあげられる。古くから、日本の仏教界では、戒律や厳罰主義によって僧たちを統制するのではなく、本人の自主性に任せる傾向があり、このことが災いしたとの見方があるのだ。
また、本人が望んで仏門に入るのではなく、経済的な事情なだから、仏門に入らざるをえなかった者も多かった。そのため、本人に修行を積んで徳の高い僧になりたいといった目標がなく、快楽へ走ったともいわれている。どちらにしても、たとえ僧であっても欲の誘惑に打ち勝つのは並大抵のことではなかったというわけだ。
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