江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
2008-12-15
お金をあげることではなかった「お年玉」?

そもそも、お年玉という行為の起源は室町時代末にはじまった習慣にあるとされている。そのころは大人から子どもへというのではなく、宮廷や武家といった上流階級の大人同士が、階級を問わず正月の祝儀を贈り合っていたのだ。江戸時代になっても武士が新年に他家を訪問するときは、贈り物を持参するというしきたりは続いた。ただし、この習慣が「お年玉」と呼ばれていたわけではなかった。
お年玉という言葉は、武家や庶民の身分を問わず、正月儀礼のなかで使われた。新年に歳神様を迎えるために用意したお供えのお下がりを家族などで分け合うこと、あるいはそのための儀式を、歳神様の賜り物、あるいは歳神様の魂をいただいくという意味で「としだま」と呼んでいたのだ。
「としだまま」の中身は地方によって異なるが、たいていの地域では餅が「としだま」と呼ばれていたようだ。年末に用意して供えた餅を、元旦に雑煮にして食べたのである。また、このような贈り物と「としだま」の習俗のほかに、商家でも町家でも農家でも、新年には奉公人や子どもたちに着物を新調し、なにがしかの小づかいを与えることはしていた。ふだん給金のない商家の小僧や丁稚、そして、家の手伝いをするのは当然で小づかいなどもらえない庶民の子にとって、正月はお金を手にできる少ない機会だったのである。
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