江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-11-20

江戸城内では刃傷事件が結構あった?

江戸城での刃傷沙汰といえば、「忠臣蔵」の一件があまりにも有名である。1701年(元禄14年)、江戸城内の松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が、吉良上野介に斬りかかり、赤穂浪士の吉良邸討ち入りへと発展していく事件である。
この赤穂事件ばかりが有名だが、じつは江戸城では、ほかにも多くの刃傷沙汰が起きている。もっとも古いのは「忠臣蔵」より73年もの前の1628年(寛永5年)、城内西ノ丸で目付けの豊嶋刑部少輔明重(とよしまぎょうぶしょうゆうあきしげ)が、脇差で若年寄り格の井上主計頭正就(いのうえかずえのかみまさなり)の胸部を刺し、即死させた事件である。
井上は、遠江の国(現在の静岡県)の大名で、彼の息子と大阪町奉行兼堺政所奉行島田越前守直時の娘との結婚話を豊嶋が取り持っていた。ところが破談となってしまったので、面目をつぶされたと怒った豊嶋が刃傷に及んだものだった。翌日、豊嶋は12歳の息子ともども切腹させられた。
次に起きたのは、1684年(貞享元年)、若年寄の稲葉正休が大老の堀田正俊を刺殺した事件である。一説のよると、稲葉は大老の堀田を嫌った将軍綱吉の蜜命をおび、堀田に辞任を迫ったが、その意思がないことを知って切り殺されたといわれる。この説によると、稲葉もただちに同席した者に切り殺されたのは、口封じのためだったということになる。
また、城内で殺された人物のなかには、賄賂政治で知られる田沼意次の息子で、若年寄だった田沼意知も含まれている。1784年(展明4年)、旗本佐野善左衛門の刺殺された。原因は、出世を望んだ佐野が、田沼に賄賂を贈ったのに無視されてカッとなったためだったともいわれる。
最後に起きたのは1823年(文政6年)のことで、西の丸書院番の松平外記が、同役ら3人を殺害、2人を負傷させるという事件が起きた。新参者の松平が、古参者からいじめられ、その仕返しに刃傷沙汰に及んだものだった。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 江戸時代 歴史 雑学

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。