江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-11-26

将軍の死後、側室たちはどうなった?

将軍のお手つきとなれば、女中も一躍側室身分である。将軍存命中は、高額の扶持と、正室や生母に次ぐ扱いを受けた。
問題は、将軍が死去してときである。彼女たちはもう大奥にはいられない。かといって、自由に暮らすことはできなかった。
彼女らは全員、大奥から桜田御用屋敷に移された。桜田御用屋敷は、大奥の御目見以上の女中が病気になったとき、療養する場であり、同時に側室の隠居場でもあった。別名、「比丘尼屋敷」といい、元側室たちはそこで余生を過ごした。
屋敷の別名とおり、彼女らは髪をおろして尼さん姿にさせられた。一人ひとりが亡き将軍の位牌を受け取り、院号をもらい、毎朝お経を唱えることになる。物質面での不自由はなく、大奥にいたときと同じだけの扶持をもらうことができた。
しかし、すでに年配の側室ならそれで十分だったかもしれないが、若い女性には酷な環境だった。彼女らは厳重な監視下に置かれ、外出もままならない。公認の外出日は1月10日の江戸城へのお年始登城、将軍の命日に芝・増上寺への参拝、将軍の正室へのご機嫌伺いくらいなものだった。
そのほかの外出には通行証が必要であり、簡単には外出できない仕組みになっていた。若い元側室の中には、悶々とした日々を送っていた者もいた。
彼女らが厳重な監視下に置かれたのは、別の男との間に子どもができることを幕府が恐れたからだ。とくに将軍没後、すぐに妊娠すれば、将軍の子かもしれないとなる。そんな面倒をなくすため、元側室たちを比丘尼屋敷で軟禁したのだった。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 江戸時代 大奥 歴史

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。