江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2007-11-28

帰国したジョン万次郎はその後どんな仕事に就いた?

土佐の漁夫だった万次郎が、出漁中に遭難したのは、まだ14歳のときのことだった
万次郎は、仲間とともに無人島に漂着、そこで半年近く生き延びたのち、アメリカの捕鯨船に救助された。他の大人たちは、寄港地のハワイで下ろされたが、万次郎は船長に気に入られ、本人の希望もあってアメリカ本土へ連れていかれた。
アメリカでは、船長夫婦にわが子同然に育てられ、英語、航海術、造船技術などを習得。優秀な船乗りになったが、故郷への思いを捨てきれず、8年後の1851年(嘉永4年)にアメリカをたち、当時の琉球に上陸した。
その後、鹿児島を経て長崎へ護送され、奉行所の取調べを受ける。従来なら鎖国の禁を破ったとして罪に問われてもおかしくなかったが、時代は大きく動いていた。万次郎が帰国したのはペリー来航の二年前のことであり、異国への関心が高まっていたのだ。
万次郎は許されたうえ、さらに語学力を買われ高知城下の教授館へ出仕する。坂本龍馬も、万次郎の世界観や知識に大きく影響されたとみられている。
やがて、黒船が来航して大騒ぎになると、万次郎は、通訳として直参旗本に取り立てられる。
故郷の地名に由来する「中浜」という姓を名乗るようになったのも、このときのこと。その後は、通訳や翻訳、軍艦操練所の教授などを務めた。
彼がもっとも華々しく活躍をしたのは、勝海舟ら幕府遣米使節の通弁主務として、咸臨丸で渡米したときである。帰国後は、鹿児島や土佐で教師として生活を送った。
ただし、万次郎は、通訳としては優秀だったが、英語の文献を日本語に訳すことは得意ではなかった。そのため、欧米の体系的な知識の移入が求められた明治維新以降は、目立った活躍をすることはできなかった。
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