江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2007-11-30

「唐人お吉」に提示された”看護料”とは?

ペリー来航の3年後、1856年(安政3年)7月21日、アメリカ軍艦が下田に入港した。この軍艦には、日本駐在総領事のタウンゼント・ハリスと青年通訳のヘンリー・ヒュースケンが乗っていた。上陸したハリスは、柿崎村の玉泉寺を宿舎とし、その寺はそのままアメリカ領事となった。ハリスは、そこを基盤に下田奉行や幕府との交渉を開始する。
当時、ハリスは健康がすぐれなかった。そこで通訳のヒュースケンを通じて、幕府に「看護婦」の派遣を要求した。その要求に対して、日本側は”看護婦”という意味がよくわからず、男の要求を満たすための若い女性を求めていると勘違いする。
問い直すと、23歳だったヒュースケンは、両方を兼ねる女性を要求したので、その求めに応じて送り込まれたのが、17歳のお吉という美しい芸者だった。
そのお吉に提示された”看護料”は、なんと支度金25両に月額10両。当時の大工の手間賃が一ヶ月2両ほどだから、じつに並みの職人の五か月分という破格の報酬だった。
ただし、お吉は玉泉寺に三ヶ月しかいなかった。お吉に腫れ物ができたためで、彼女が最終的に受け取った報酬は、支度金を合わせて55両(75両だったとも)だったという。
なお、ハリスは敬虔なピューリタンであり、お吉との間に関係はなかったとみられる。もっとも、お吉は、その後「唐人お吉」と世間から白い目で見られ、辛い人生を送ることになった。
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