江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2007-12-03

紀伊国屋文左衛門は本当にみかんで儲けたのか?

元禄時代の豪商として知られる紀伊国屋文左衛門。江戸八丁堀に大邸宅を構え、吉原で豪遊したというエピソードも残ってる。
もともと、紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の漁夫の子だったが、江戸でみかんが不足しているのを知ると、紀州のみかんをかき集め、ボロ船で運んで巨万の富を得たと伝えられている。そのエピソードは、「沖の暗いのに白帆がみゆる あれは紀の国みかん舟」とカッポレにも歌われている。
しかし、考えてみれば、みかんを大量に運んだところで、利益はたかが知れている。文左衛門が一躍江戸屈指の大金持ちになったのは、材木で儲けたからだった。
1688年(元禄元年)、江戸へ出た文左衛門は、八丁堀に材木屋を開いた。江戸では火事とケンカが絶えず、いったん火の手があがると、とくに冬の間は強い風にあおられて一気に燃え広がった。
火事が起きると、再建用の材木が飛ぶように売れる。そこで、文左衛門は遠州千頭山で材木を買占め、大井川を下って沿岸伝いに江戸へと運んだ。他の業者より素早く大量の材木を集めたため、巨大な利益を上げたのだ。
また、幕府の老中阿部正武らに、ワイロを送って接近。幕府御用の材木商となって、上野寛永寺根本中堂の造営でも大いに儲けた。
ただし、晩年は、深川の木場を火災で失って材木商を廃業。浅草寺や深川八幡の境内で、宝井其角ら文化人と付き合いながら、静かに暮らしたと伝えられている。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

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