江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-12-15

祿高が少なくても、与力や同心が贅沢できたのは?

町奉行所で働く与力は、およそ200石取りである。お金に換えれば、70両程度。今の紙幣価値にして560万円ほどだから、さほど高給取りだったとはいえない。
それなのに、与力はけっこう贅沢をしていた。
与力とその家族が住む八丁堀の屋敷では、多くの女中を使っていたし、衣装にも凝り、食事もかなりのご馳走を食べていた。与力の実際の年収は70両どころではなく、300~500両程度はあったといわれる。
与力がそんな稼ぎを得られたのは、役得によるものだ。大名や商人らが、金品を付け届けしていたのだ。何か揉め事があったときには、よしなに処理してほしいという思惑が、その付け届けにはこめられていた。
たとえば大名の場合、参勤交代のため、多くの家臣が江戸に在住している。彼らは江戸の町民から田舎者とバカにされがちで、ケンカを売られることもあった。
その際、家臣が頭に血をのぼらせて刃傷沙汰になり、それが幕府上層部に知られれば大問題になりかねない。もしそうなったときは、事件現場を仕切る与力に穏便な形で収めてもらおうと考えた。
そこで、江戸在住の大名は、付け届けをして与力と親密な関係を築こうとしたのだ。それは大商人も同じこと。与力は、いわば大名や大商人のもめごと相談役といった存在だったのだ。
300家もの大名や多数の商人らが、50人の与力に金品や地方の特産品を贈るのだから与力の懐はふくらむばかりだ。当時、贈収賄はご法度ではなかったから、いくらもらおうが、問題はなかったのである。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 雑学

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。