江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-01-08

徳川御三家の仲は実際のところどうだった?

徳川御三家といえば、尾張家、紀州家、水戸家である。尾張家は徳川家康の九男・義直、紀州家、十男・頼宣、水戸家は、十一男の頼房をそれぞれ祖とする。もし江戸の将軍家に跡継ぎがいない場合は、御三家の中から次の将軍が選ばれることになっていた。
その御三家どうしの仲は、あまりよくなかったようである。むろん、その最大の理由は、御三家があわよくば将軍の座を狙えるライバルどうしだったからである。
御三家には、一応の序列があった。長幼の順で、尾張家、紀州家、水戸家の順である。このうち、三位の水戸家は他の上位二家よりも、一歩さがった立場にあった。水戸家の藩主は江戸に定住し、将軍を補佐する立場とされ、水戸家には、補佐役に徹するのが自家の役目という気分が濃厚で、将軍ポストを得ようという意識は希薄だったようだ。
一方、上位二家は、ともに将軍ポストに近い位置にあったため、互いをライバル視していた。尾張家は御三家の筆頭のプライドから、他の二家と同列に扱われるのを嫌い、江戸の将軍家とも同格であると意識をもっていたようだ。
二位の紀州家も負けてはいない。尾張家と同格であると考え、尾張家より格下に扱われることを嫌った。それが尾張家を刺激し、江戸時代を通じて、尾張家と紀州家の関係にはピリピリした雰囲気がつきまとった。
その緊張関係が頂点に達したのは、八代将軍を巡るレースのとき。江戸の将軍家に跡継ぎはなく、尾張家から次期将軍を出すことが内定していた。ところが、尾張家の当主が次々と変死して、尾張家には正当な跡継ぎがなくなり、次期将軍の座は紀州家に巡ってきた。
その紀州家でも変死が相次ぎ、結局、兄二人の死により、本来なら将軍の座など手に入るはずもなかった紀州家徳川光貞の四男・吉宗に、八代将軍の地位が回ってきたのだ。
真相はさだかではないが、次期将軍の座を争う過程で尾張家と紀州家の間に暗闘があったとしても不思議ではない。この次期、両者の仲はそれほど険悪なものだった。
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