江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
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2008-01-09
将軍の食事はどのくらい贅沢だった?
徳川将軍の食事といえば、贅沢を尽くしたものと思われがちだが、案外そうでもなかった。今どきの美食家のほうが、よほど贅沢なものを食べていることだろう。将軍の朝食は、二の膳まで付き、まず一の膳には、飯、汁、刺し身と酢の物などの向こう付け、平(煮物)が乗っていた。二の膳は、吸い物と焼き物だ。二の膳の焼き物は、キスの塩焼きに付け焼きの二種と決まっていた。
キスは「鱚」(喜ばしい魚)と書くところから、縁起のいい魚とされていたのだ。ただそれだけの理由で、将軍はほとんど毎朝、キスを食べなければならなかった。ただし、毎月一日、十五日、二八日には、キスの代わりに、タイやヒラメの尾頭つきがついた。将軍の昼食も、二の膳つきだ。魚は、タイやヒラメ、カレイ、カツオなどが付く。ほかに、将軍の所望する献立も出てくる。
夕食は、二の膳は付かなかったが、大きな膳を使い、品数はより多くなった。雁や鶴、鴨などの鳥料理が出ることもあったし、酒も付いた。
なお、十五代将軍・慶喜は、フランスと親交が深く、ポークピカタなどの豚料理を好んだ。そのため、彼が一橋家出身であることとかけて、「豚一様」と江戸の町民からあだ名をつけられることになった。
ただし歴代将軍には偏食家が多かったようだ。アミの塩辛や生姜のモヤシといった、ちょっと首を傾げるようなものを好んで食べる将軍もいた。世間を知らないため、食わず嫌いの側面もあったようだ。
各国大名からの献上品が膳にのぼることもあって、九州の八代みかんや尾張の鮨などを好む将軍もいた。ただし、鮨といっても今日のものと違い、アユの麹漬けのようなものだ。
と、意外に地味な将軍の食事だが、最上級の素材が用意されていたこと間違いない。そのあたりは、贅沢だったといえるだろう。
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