江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-01-11

春日局は、なぜ絶大な権力を持つことになったか?

春日局は、大奥の産みの親といってもいい女性である。彼女が大奥で権勢をふるえたのは、三代将軍・家光の後ろ楯があったからだ。逆にいえば、家光は春日局に大きな恩に感じ、彼女に大奥のすべてをまかせていたといえる。
家光は、二代秀忠の長男だったが、母親のお江与の方は、二男の忠長をかわいがり、忠長を将軍職につけたいと考えていた。
当時は、長子単独相続の制度が確立されていなかったため、二男である忠長が将軍になることもありえたのだ。とくに忠長が若いことから優秀と見られていたこともあって、次期将軍レースの行方ははっきりしなかった。
そんななか、家光の乳母だった春日局は、駿府の徳川家康に直訴する。この直訴もあって、家康が長子単独相続の確立を決断したため、家光が次期将軍に就くことが確定したのだった。
春日局の尽力があってこそ、家光は将軍職を得たわけである。家光の春日局への信頼はいよいよ厚くなり、彼女が大奥を取り仕切ることになったのだ。もちろん、春日局にそれだけの力量があったことも事実である。
そもそも彼女は、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の家臣の娘。謀叛人の娘として、若いころから冷たい視線にさらされ、苦労を重ね、数々の修羅場も潜り抜けて、肝玉が座っていた。だから、単身家康に直訴もできたし、大奥のライバルを押さえ込むこともできたのだ。
なお、異説によれば、家康の参謀格だった僧天海の正体は、明智光秀だったといわれる。もしそれが本当であれば、春日局は家光以外にも、強力な後ろ楯をもっていたことになる。
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genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 大奥 雑学

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