江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-01-13

水戸光圀の誕生は歓迎されなかった?

天下の副将軍・水戸黄門こと水戸光圀は、1628年(寛永5年)6月10日、水戸城内ではなく、城下の三木仁兵衛の屋敷で生まれた。徳川御三家である水戸家の男児であるにもかかわらず、その出生は歓迎されなかった。
そもそも、父親の頼房は、側室の久子の妊娠を知ると、すぐに中絶を命じた。光圀が三木家の屋敷で生まれたのも、久子を不憫に思った三木仁兵衛が彼女を迎え、ひそかに出産させたからだ。なぜ父頼房は、息子の誕生を歓迎しなかったのか。それは、彼が御三家の中で、一番年下だったからである。
当時は、徳川の身内、外様の別なく、大名の取り潰しが相次いでいた時代。御三家といえども、一つ間違えばお家取り潰しという事態も覚悟しなければならなかった。
そんな時代に、久子は妊娠する。尾張家(家康の九男)、紀州家(家康の十男)ばかりか、将軍の家光(家康の孫)にさえ、まだ子どもがなかったので、末弟の頼房にとって、兄や将軍を差し置いて子どもを持つのは、恐ろしいことだったのだ。子どもができたからといって、喜んではいられなかった。
やっと兄たちに子どもができたとき、頼房は誰一人認知していなかったが、すでに七人の男の子があり、光圀は三男だった。しかし、実子を認知する際、光圀を長子としたため、のちの黄門様が水戸家を継ぐことになった。
父の死後、光圀が二代目水戸藩主に就任したのは、33歳のときだった。
スポンサーサイト

theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

tag : 歴史 江戸時代 徳川 雑学

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

ジャンキー将軍

Author:ジャンキー将軍
江戸時代の知りたかった「謎」と「疑問」を解説します。

最近の記事
記事検索フォーム
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブログランキング

FC2Blog Ranking

最近のコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
Pick Up
amazon
焼肉通販・ホルモン通販
すき焼き・しゃぶしゃぶ肉通販
スパイカメラ・カモフラージュカメラ通販
コルクマット・ジョイントマット通販
美容ローラー 針美人(しんびじん)

ヤーマン サーミコン式脱毛器
no!no!hair Smart(ノーノーヘア スマート)
エバンジェリスト BBクリーム
フリーエリア
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。