江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-01-24

吉宗の改革で一番損をした人々は?

1716年(享保元年)、紀州藩主だった徳川吉宗が八代将軍に就任した。吉宗は就任まもなく、財政再建を中心に幕政改革に着手。そして、先例にとらわれない改革を次々と実施し、みごと傾いた財政を立て直した。
吉宗は「幕府中興の祖」と呼ばれ、享保の改革は、のちの寛政の改革や天保の改革のモデルとなった。しかし、幕府財政が立ち直る一方で、この改革は貧しい農民をいっそう苦しめることになった。
たとえば、改革以前、年貢率は、その年の米の作柄のよって決定されていた。ところが、吉宗は、豊作凶作にかかわらず、一定額を徴収する「定免(じょうめん)法」を採用した。これによって、幕府の財政は安定したが、農民にとっては、凶作でも年貢が減免されないので、ひじょうに大きな負担となった。
また、この時期、新田開発が盛んに行われたが、開発された土地の大半は、もとは農民たちの共有地だった。農民たちは、そこから草肥や薪、山の幸などを調達していたのだが、新田開発によってそうした恩恵をうけられなくなった。
さらに吉宗は、それまでは低く抑えられていた畑の租税を重くし、税が免除されていた河川敷の土地にも課税した。
吉宗以前の家宣・家継時代の年貢は、平均で収穫の27.6%程度だったのに、吉宗時代には5割にもなった。年貢がおよそ2倍となっては、ただでさえ苦しい農民の暮らしはいよいよ苦しくなる。
実際、不満を募らせた農民一揆が増加し、凶作になると飢えた親子による子殺しなどが相次ぎ、前途のように、享保の改革以降、日本の人口はほとんど増えなくなってしまった。
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