江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
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2008-01-25
名古屋城の金の鯱は本当に盗まれたのか?
「尾張名古屋は城でもつ」といわれるが、その名古屋城のシンボルといえば、金の鯱。天守閣に飾られた金の鯱は、純金製である。慶長大判、小判1万7975両を引き延ばしたもので、二つの鯱を合わせれば32キロにもなる。合計190枚の鱗も、すべて金でできている。
そんなお宝が天守閣のてっぺんにおかれているのだから、盗人にしてみれば、このうえない獲物である。江戸時代には、その金の鱗が大泥棒にまんまと盗まれたという噂がまことしやかに囁かれた。
18世紀後半、柿木金助という大泥棒が大風の日に大凧に乗って、名古屋城の天守閣の屋根に舞い降り、鯱から金の鱗をはぎとったというのだ。
たしかに当時、柿木金助という大泥棒が美濃一帯を荒らしまわっていたことは事実である。だが、さすがの金助も、名古屋城の天守閣に上ることはできなかった。金助が忍び込んだのは、名古屋城本丸の土蔵であり、船を使って逃走したというのが真相だ。
金助はその後も泥棒稼業をつづけるが、やがて捕まり、1763年(宝暦13年)に磔(はりつけ)獄門となっている。
その直後から、金助が大凧に乗って、名古屋城の金の鯱を盗んだという噂が、広まり始めたのだ。
この噂をもとに、1782年(天明2年)には金助が登場する芝居が大坂で上演され、評判を呼んだ。やがては大凧に乗った金助の錦絵まで登場したので、名古屋城の金の鯱が盗まれたと信じた人は多かったと思われる。
のちに、鯱(その鱗)は本当に盗まれることになるが、それは明治以降、名古屋城から武士の姿が消えた後の話である。
comment
Re: 名古屋城の金の鯱は本当に盗まれたのか?
よく調べてありますね。
なかなか知る人ぞ知るで、
名古屋の人も今じゃ殆ど知らないんですよね。
でも、歴史に関してホントに詳しいのに驚かされます。はい、、、。
なかなか知る人ぞ知るで、
名古屋の人も今じゃ殆ど知らないんですよね。
でも、歴史に関してホントに詳しいのに驚かされます。はい、、、。
Re: 名古屋城の金の鯱は本当に盗まれたのか?
ありがとうございます。
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