江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-01-26

吉良上野介はなぜみんなから嫌われていたのか?

江戸時代、「高家」と呼ばれたのは、いわゆる名門のこと。二代秀忠が、室町将軍家の縁故である石橋家、吉良家、今川家に三家を登用したことに始まる。仕事は幕府の儀礼や典礼を司ることだった。
その高家の一人、吉良上野介が、江戸城内で浅野内匠頭から斬りつけられたのは、1701年(元禄14年)にこと。上野介のイジメに耐えかねた内匠頭が、思い余って刃傷に及んだと伝えられる。
当時、上野介が部下をイジメ、賄賂を要求していたことは確かである。たとえば、上野介のイジメに参った亀井?親(これちか)の場合は、家老が機転をきかせて賄賂を持参。すると、翌日から上野介の態度がコロッと変ったというエピソードが残っている。
上野介がそれほど賄賂を欲しがったのは、高家のわりに収入が少なかったからである。吉良家は高家であっても、総石高はわずか4200石の旗本。5万3000石の赤穂藩主浅野内匠頭のほうが、はるかに多くの収入があった。ところが、浅野家の官位は従五位なのに、高家の吉良家は従四位。城持ち大名たちと対等以上の付き合いをするのは、財政的に大変な負担だったのだ。
そこで、上野介は、実子を米沢上杉家の養子に送り込み、毎年6000石もの援助を受けていたが、ただでさえ財政の厳しい上杉家からも快く思われていなかった。また、上野介は商人への未払い金も多く、町奉行へ訴えられたこともあった。
上野介は、一介の旗本にすぎないのに、「高家」らしくふるまうために出費がかさみ、賄賂を必要として、結局は自分の命を縮めることになったわけである。
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