江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。


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2008-01-28

江戸時代に多くの大名家が取り潰されたのはなぜ?

江戸時代を通じ、幕府によって取り潰された大名の数はおよそ230にもおよぶ。その半分以上は、家康、秀忠、家光の三代に集中している・三代だけで126にのぼるのだ。
大名廃絶の理由は、大きく分けて三つあった。「世継ぎの不在」「武家諸法度違反」「幕府に対する謀叛嫌疑」である。もっとも多かったのは世継ぎのいないことだった。
幕府が大名を取り潰した狙いは、もちろん自らの政権安定と拡大である。そのため、とりわけ外様大名に対しては容赦なかった。
たとえば、1619年(元和(げんな)5年)には、安芸四九万国の福島正則が廃絶に追い込まれている。理由は、広島城を無断修築したというもの。正則は幕閣の実力者だった本多正純に二度も修築を申し入れ、本多は口頭で了承したといわれている。それなのに、二代秀忠は正式に許可していないと武家諸法度違反に問い、改易を命じたのだった。
また、1632年(寛永9年)には、老中の土井利勝が、将軍家光に対して謀叛を企てているという怪文書が出回った。幕府がその出所を調査したところ、肥後52万石藩主加藤忠宏の子であることが判明。これによって加藤家は取り潰しとなったが、この騒動はすべて幕府の策略だったとみられる。
福島家も加藤家も豊臣恩顧の外様大名であり、徳川家にとって存在的な脅威だった。
このように、三代家光までに、脅威となりかねない大名を次々と取り潰していくことによって、徳川家は磐石の基盤を築いたのだ。
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tag : 歴史 江戸時代 雑学

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